車掌ケア

2017/11/11

「リハビリの夜/熊谷晋一郎」(医学書院、2009)という本を読みました。

筆者は、脳性麻痺をもちながらも東大医学部を卒業し小児科医として活躍している方です。

本書は、ケアをうける当事者の立場から、「ほどかれる体」「まなざされる体」「見捨てられる体」といった概念化を通じて、身体のケアの関係性について書かれた良い本です。

なかでも面白かったのが、筆者のセクシュアリティの部分です。

>いつのころからか、私は自分の身体の小ささや弱さを見せつけられるような

>「対比場面」に直面するたびに、敗北の官能にとらわれるようになったが、

>それはリハビリのときに限定されなかった。

>「女子にこてんぱんにされる男子」という景色に、私の目は釘付けになった。

>この「対比場面」への官能的な執着は、中学生のころがピークだった。

>このころになると、私の目的は、自分の身体よりも大きくて強い身体を

>探し歩くだけではなく、同時に私の身体が対比場面にふさわしい弱くて

>小さい状態をキープしているかどうか監視しはじめた。

そして筆者は、保護されるべき細い身体を保つために、自己誘発嘔吐までしたことが書かれています。

わたしはその思いに、ひどく共感しました。

自分が庇護されたい、何か大きなものに、身をやわらかくあずけ、弱きものとして、ほどかれたい、という思いは、わたしにもあるなーと、思い出したのです。

しかし、その思いは、いつも、それ一色で訪れるわけではなくて、補色がそばに、ちらついています。

・・・中2のとき いかにも不適応なわたしを心配した 担任でもない先生が わたしを視聴覚室に呼び出し いまでいう学校カウンセリングのようなこと?を した ・・・わたしは その先生が わたしを性的に襲うのではないかと そのとき感じた 卒業式のとき わたしの頭をなでにきた その先生は やはり わたしのことを 好きだったのではないかと いまだに そんな思いに 捕らわれては・・大きなものに抱かれるという 制度の向こうの15本くらいの指にいじくられるという 思いが 愉快で 怖くて とめられない・・・

障害者であるこの本の筆者もそうかもしれませんが、わたしも、その欲望が、かないやすい立場にあるかもしれません。なによりわたしは女性であるし、なにごともへたくそだし、あまり力強くないし、乗り物にすぐ酔うし、瓶のふたがあけられないし、すぐ泣くし、高い棚のものが届かない・・・うああああ・・・・そんないくつもの場面で、わたしは今から思えば庇護を受けやすいタイプのようで、たぶん必要以上に庇護を受けてきました。

必要以上に・・・・。

わたしは自分が弱きものとして庇護されることが好きです。

お客さんが自発性を持たないように車掌がお客さんをしばってあげちゃいますね・・・と車掌のやわからな手で縛られると、ぎゅん、としてしまいます。

車掌のもつ「違う人」感、<お客さまはお客さま>という冷たさのなかでまなざしをなげかけられるじぶんのちっぽけさが好きです。

へんなひとに絡まれたときに、車掌室から出てきてくれた車掌、あのときから車掌への欲望は始まったのかしら・・・・

車掌の艶肌、車掌の喉仏、車掌の胸板、車掌の腰、車掌の鍵、車掌の革靴、みんな、みんな、わたしを圧倒する大きさのあかしです。車掌はその気になればお客さまに対してなんでもできちゃうyo、お客さんのクリトリス大きくなってるクリトリス、車掌はお客さまのすべてを握っちゃうyo、ああ、なんて大きな車掌、空一杯にひろがる車掌、車掌だいすき、車掌に庇護されることが好きです・・・からだをほどくってどうしてこんなに気持ちがいいんだろう・・・。

しかし、同時にわたしは、そこに身を預けて失禁のきわみに立てるほどの、目指すべき弱さにふさわしい弱さもないことを、実感します。

マツオカさん 大丈夫か と伸ばされた手に腹が立ち殴ってしまったり、

高いところのものを取ってくれちゃう人に、そんな高いところのモノはもとからいらんわい!と怒ってしまったり、

わたしを守ろうとする手のあまりに強さに苛立ってそんな手は不要だ!

とふりほどいてしまう、それだけの、無駄な生命力というか、へんな強靱さが、わたしにはあるようです・・・・

・・・ほ どけているのに・・・・

・・・あの、優しく、大きな手に、抱かれてゆるんだらどんなに思い出としても触れ合いとしても括約筋もいいことだろうと思うのに・・・・

・・・車掌、わたしは非常用コックを引いて 外に出てしまうかもしれません、そこが鉄橋でも、山の上でも、車掌、わたしの乳首のねじが、ちゃんとはまっているうちは、車掌、無力でいられない、無力ではいられない、どうしてなんだろう、言葉がうまれ、動作がうまれ、わたしは車掌と戦わずにはいられない・・・・

女から見れば

男のちからはおそろしく

男というのは そこにいるだけでおそろしく

いざとなったら絶対に勝てない

ちからでは勝てない・・・・

組み敷かれるのが 嬉しいのか

組み敷かれるのが 恐怖なのか

あまりに口がたっしゃで怒りっぽいわたしは ときどき 夫に ふとんむしに 布団巻きに される・・・

男は知っているわたしのことをいざとなれば力でどうにも出来ると言うことを/わたしは男がそれを知っていると言うことにぬれぬれしながら腹が立つ/布団むしにされて息ぐるしくなり、ちょっと色っぽい気分にならなくもないが、たいがいその後は放置だからこまる・・・(出してくださいよ)。

おむつをしてわかったことだが おもらしをするのは ほんとうに難しいことです/じつはまだ 出来ていない/からだが固くて それが できない/はやく 出来るように なりたい・・・・

そんなことをいろいろ考えました。

そして本書には当然のように「失禁」「マゾヒズム」について記載もあります。

・・・で、ひとつ思ったのは、筆者のそういう嗜好に脳性麻痺はどの程度寄与しているのでしょうか。関連要因であることは間違いないのですが、脳性麻痺のない人でもそのような性的嗜好をもつ人は多いと思います。どうなのでしょう、気にしてみたいと思います。

いつか、そういう嗜好のひとがいっぱい集まって、月のうさぎを見上げる丘の上で、美味しいジュースでも飲むような会が、あると、すてきだね。